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【流浪の城巡り】角田城(宮城県角田市) ~伊達氏と相馬氏が奪い合った城、田手氏と田手宗時~ ※2022年1月更新

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グルファビ

こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は角田城の紹介をしたいと思います!

1.グルファビの評価

総合評価 ☆☆☆★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆☆★★★ ☆☆☆☆★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★ ☆☆★★★ ☆☆☆☆★

グルファビ

城の郭は残っているが肝心の遺構は学校が建てられていてほとんど残っていません

また住宅街に囲まれていてロケーションも悪いです。

ただその分アクセスはしやすいです!

※あくまでも個人的な見解です

2.角田城の概要

角田城(かくだじょう)は、宮城県角田市角田にあった日本の城(山城)。角田要害とも金鶏館とも呼ばれました。

城は背後に山と谷地、沼を備えた後堅固の平山城です。

角田城は、永禄年間(1558年-1570年)、伊達氏の家臣田手宗光によって築城したとされています。

3.角田城の歴史

角田城は、永禄年間(1558年-1570年)、伊達氏の家臣田手宗光によって築城したとされています。

1564年、時の城主田手宗光は当時の伊達家当主伊達輝宗と不和になり相馬郡を支配していた相馬氏に通じ一次相馬氏が城を領有します。しかし伊達輝宗は後に角田城を奪還し、父と異なり伊達氏に従った宗光の子田手宗時が城主となります。

しかし1582年、相馬氏が角田に攻めてきた際、田手宗時は戦死してしまいます。

1586年、当時二本松城主だった伊達政宗の従兄弟だった伊達成実が二本松城より移り城主となります

1595年、伊達成実は出奔し、伊達政宗は屋代景頼に命じ角田城を接収、この際抵抗した成実の家臣の羽田右馬之助ら30余人が討死したといいます。その後は伊達氏の直轄領となります。

1598年、伊達政宗の叔父で志田郡千石城主であった石川昭光が角田城に入り、以後角田は石川氏が2万1千石の大領を領し、明治維新に至ります。

4.田手氏と田手宗光・宗時

奥州合戦での軍功により陸奥国伊達郡などを与えられた伊達氏初代当主伊達朝宗の六男・実綱が、伊達郡伊達崎(だんざき)に拠って伊達崎氏を名乗ったが、のちに伊達宗家と紛らわしいので、田手氏を名乗るようになったといわれています。

田手氏の活動が史料上から明確になるのは戦国時代に入ってからで、伊達稙宗が1512年10月4日に田手実烈に、1525年11月11日に田手石見大方(実烈母か)に対して買地安堵状を発給しており、これらの安堵状からは田手氏が伊具郡内(現在の角田市周辺)の在地中小武士の土地を買得して吸収し、所領を拡げていたことがうかがえます。

1542年に勃発した天文の乱で、実烈は伊達晴宗方に属して戦い、戦後の論功行賞において伊具荘惣成敗に任ぜられたので、角田城を築いて本拠を伊具郡へと移したが、実烈の跡を継いだ子の宗光は、1564年に晴宗の跡を継いだ伊達輝宗と対立し、相馬氏と通じて反抗したため角田城を逐われました。しかし、宗光の子・宗時は父に同調せず輝宗への忠誠を表明していたため、輝宗は宗時に所領の相続を認め、田手氏への処分も家格を一家から一族へ降格させるのみに止めました。しかし1582年、宗光は伊具郡での相馬氏との戦いで奮戦むなしく討死してしまいます。

田手氏は宗時の子・宗実の代の1591年に伊達政宗が岩出山城へ転封された際に、角田から柴田郡小泉へと移されました。

1613年、政宗は七男・宗高を宗実の養嗣子として送り込み、田手氏の名跡を譲渡させた。宗高は伊達姓の名乗りを許され、柴田郡村田城にて30,000石を拝領する(村田伊達家)。この時、宗実ら元々の田手氏は小泉氏を称することになりましたが、宗高は1626年に20歳の若さで急逝して村田伊達家が断絶したため、宗実の子・高実が田手氏に復したのをはじめ、分家も再び田手氏を称するようになりました。

慶安元年1648年に高実が死去すると、田手氏の家督は実子の貞実ではなく、伊達忠宗の八男・宗房が高実の娘婿となって継いだが、1659年8月28日に貞実が元服すると、宗房は貞実に田手氏の名跡を譲り、自らは兄・伊達綱宗から伊達姓を拝領して別家を興しました(宮床伊達家)。

貞実は1665年6月16日に跡取りを残さず死去し、宗房と正室・田手氏との間にも子が生まれなかったため(宗房の子は二人共に継室・片倉氏が産んだ子である)、ここに田手氏宗家は断絶しました。なお、田手氏の分家(『伊達世臣家譜』では「田手家の族臣」と記される。宗家との分岐点は不詳)は、村田伊達家の断絶後に仙台本藩の直臣に編入された田手実次(112石)・田手実元(106石)らの家系が存続しています。

5.現在の状態

現在は宮城県角田高等学校の敷地となっていて、高校の入口付近に石碑が建っています。

学校の敷地内にあるので遠慮なく入れるかというと微妙にところです。

ただ切岸になっていて独立丘陵のがわかりなんとなくの雰囲気は味わえます。

切岸になっていて城のイメージはできます。ただ上に角田高校が建っています。
高校の入り口に案内板があります。
縄張り図

6.アクセス

  • 住所 〒981-1505 宮城県角田市角田牛舘(角田高校敷地内)
角田城周辺の城
  • 登城ルート 県道355線枠の山清寺から入れます(看板があります)。そこから墓地の脇を抜けて登ると駐車するスペースがあり、城の案内板があります。その脇に登城ルートがあります。道はありますが良い状態ではありません。
学校の入口から入れます…が敷地内なのであまり自由には入れないかもしれません
  • 城からの眺め
ビューポイント
住宅に囲まれていて一望はなかなか難しいです

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←伊達氏のことがわかるおすすめの書籍。伊達家の動向が詳しく記されています。人取橋の戦い、郡山合戦についても詳しく記載されています。

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グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」