【流浪の城巡り】三沢城(宮城県白石市) ~南北朝時代からある城~ ※2022年2月更新

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こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです!

今回は宮城県白石市のお城、三沢城の紹介したいと思います。

総合評価 ☆☆☆★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆☆☆★★ ☆☆☆★★ ☆☆☆★★ ☆☆★★★ ☆☆☆☆★ ☆☆☆☆★
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浄土宗文殊山 大聖寺という映画「ラストレター」の舞台にもなったお寺の裏山にあります。

私は基本的にグーグルマップで城を検索してそこからよさげな城をピックアップして訪問する城を決めるのですが、三沢城はほとんどレビューも情報もなくあまり期待しないまま訪問したのですが、想像以上に整備もされていて遺構も残っていてよかったです。

ただ、元のハードルが低かったのでそこは考慮してください。

そこそこ規模もデカく見どころは割とあります。

2.三沢城の概要

三沢城(みさわじょう)は宮城県白石市の南東の山間部にあるお城です。

丘陵上に築かれており、北に谷津川が東西に横断している山城です。

築城年や築城武将は不明です。しかし奥州藤原氏の藤原泰衡(1155~1189)の家臣が居住していたとも伝えられているため、その以前から存在していたと考えられる。

14世紀の南北朝時代には南朝方の拠点となっており北畠顕家(1318~1338)の弟、北畠顕信(1320~1380)も一時籠城していたと伝わる。

3.三沢城の歴史

築城武将や築城年は不明。奥州藤原氏の時代には藤原氏の家臣が居住していたとも伝わるため、奥州藤原氏によって築かれたと思われる。

14世紀中頃、南北朝時代には南朝方の拠点で白石地方唯一の城であったらしく、南朝のこの地方の本拠は霊山城(福島県伊達市)だったが三沢城はその支城として機能していたようである。

1353年3月、霊山城にいた南朝方の総帥・北畠顕信(顕家の弟)が、しばらく三沢城に籠城し北朝方の吉良貞経などの軍と戦った。のちに出羽国に逃れているためこの時に落城または自落したと推測される。

慶長年間(1596~1615年)には、三沢信濃守頼母の居城と伝えられている。江戸期に書かれた文書によると、伊達家臣の三沢氏との関わりはないらしい。この時期は上杉の領土だったり伊達の領土だったりしているので在地の土豪のような存在だった?

4.現在の状態

県道106号線より大聖寺に向かい、大聖寺のお墓を抜けた先に城跡があります。

要所要所に案内板があり、道もそれなりに整備されています。登っていくと郭や堀、土塁、土橋跡があり当時の雰囲気がわかると思います。

しかし郭や登城路は藪や草木に覆われているところも多くあまり自由には探索できません。ラフな格好は考え物ですね。

本丸も草木に覆われており眺めはあまりよくありません。

106号に案内板があります
駐車スペース
このように案内板が要所にあります
二の丸です
土橋
核と堀、土塁
本丸①
本丸②
本丸からの眺め。眺めが悪いです。ただこの辺りが見渡せる城であったことはわかると思います。

5.アクセス

住所

〒989-0213 宮城県白石市大鷹沢三沢落合
※〒989-0213 宮城県白石市大鷹沢三沢落合64 大聖寺敷地内から登城

三沢城周辺の城

現場までのルート

県道106号を進んでいくと案内板があり、そこを曲がり道なりに進むと大聖寺というお寺があります。
その敷地内の駐車場に止めることができ、大聖寺内のお墓を抜けると城跡の登城ルートがあります。

城を一望できる場所

ビューポイント
縦長だったのがわかります!

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南北朝時代の東北の歴史が北畠顕家を通して理解できます!

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yabouroku
グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」