【流浪の城巡り】長瀞城(山形県東根市)と西根氏 ~西根氏が築いた、最上氏の城~ ※2023年3月更新

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グルファビ

こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は山形県東根市の長瀞城の紹介をしたいと思います

グルファビの評価

総合評価 
☆☆★★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆☆★★★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★ ☆☆☆★★

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山形県東根市にある城跡です

遺構はほとんど残っておらず、堀跡が水路となって残っており郭の雰囲気だけはわかりやすいです
遺構は水路跡くらいしか残っていませんが各地に案内板が建っており親切です

城の概要

鎌倉時代建長年間、西根氏によって築城されたという

水堀、土塁を二重に巡らせた方形輪郭式の平城で、かなりの規模を持っていた。通常の城は三の丸までだが、四の丸まであったという。ただし、遺構が残存しておらず、確固たる検証はできない。

また、城跡がはっきりしている。地図を見れば明らかだが、長瀞城は町の大本になっている。特に整備がされていて、貴重な文化財として活用されることが期待される。ただし、復元された部分が多いという事には注意を要する。

城の歴史

鎌倉時代建長年間、西根氏によって築城されたという。

戦国時代には長瀞左衛門が在城して天童氏に属していたと伝えられるが詳らかではない

天童氏が最上氏に滅ばされられると最上氏の所領となり、4代目当主最上満家が隠居の為に利用した。その後は最上満種や最上満宗の居城になったとも、長瀞左衛門尉が本拠を構えたとも言う。本格的に城郭が整備されるのは最上義光が入城してからである。

1622年、に最上氏が改易されると山形藩の所領となり、鳥居氏、保科氏と城主は変遷する。

1671年、保科氏の転封に伴い天領となり、幕府が元締陣屋を設置して直轄した。

1798年、米津氏が武蔵国久喜からこの地に入り、長瀞藩の長瀞陣屋となった。

西根氏

西根氏(にしねし)は日本の氏族の1つ。

鎌倉時代の初、羽後国仙北郡西根邑を領して西根氏を称す一族。南北朝時代に現在の山形県東根市長瀞地区に城を築き、この城が安土桃山時代の長瀞城(ながとろじょう)(別名、雁城(かりがねじょう))の原型であるという。最上義光の家臣で東根城留守役の西根兵部(にしねひょうぶ)はその後裔という。羽後国のほか因幡国にもその氏を見る。

現在の状態

堀跡
堀跡
中央部
中央部の碑
一の堀

アクセス

住所

〒999-3771 山形県東根市宮崎4丁目

入口までのルート

国道13号から西に入るとあります

城を一望できる場所

ビューポイント
もう一集落になっているので一目でわかるような場所はありません

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グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」