【流浪の城巡り】駿河横山(興津)城(静岡県静岡市)~武田氏駿河侵攻の戦地~ ※2022年5月更新

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グルファビ

こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は静岡県の横山(興津)城の紹介をしたいと思います

1.グルファビの評価

総合評価 ☆☆★★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
不明 ☆☆☆★★ 不明 ☆☆★★★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★
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武田氏の駿河侵攻の際、戦地となった城です

戦略的用地にあった城です

時間がなく、近くから眺めるだけになりましたが川の横の丘陵上に築かれており近くから眺めるだけでも城の雰囲気はわかると思います。

2.城の概要

駿河国の国人で後に守護・今川氏の被官となった興津氏の居城と伝えられています。

興津川の左岸に突き出した山中にあり、山頂部から山腹を削平して、主郭である一の曲輪から南側に向かってT字型に曲輪が配置され、南側には東西方向に大規模な土塁が形成されている。背後の山とは堀切で区切られていました。

武田信玄の駿河侵攻時には激しい攻防が繰り広げられました。

3.城の歴史

築城年代は定かではありません。藤原氏の末裔で入江右馬允維清の嫡男船越四郎大夫清房の嫡男四郎維道を祖とする興津氏によって築かれたと云われる。

延文年間(1356年〜1361年)興津美作守の時に興津館より横山城に居城を移した。

1525年、連歌師紫屋軒宗長が興津横山城を訪ねている。

その後は興津氏の居城として代々興津氏の居城となります。

1568年、武田信玄の駿河侵攻の際、武田氏の手中に落ちます。

1569年、北条氏政が派遣した今川氏救援軍によって薩埵峠以東は北条氏によって押えられましたが武田氏は甲府への帰路を確保するべく横山城を改修し、久能山城と横山城に兵を籠城させ、横山城には穴山梅雪を置いてようやく帰路についた。その後、江尻城が築かれると穴山梅雪は江尻城へ移った。
この際、今川氏の救援に北条氏が4万5千ともいわれる大軍で救援に来ており、本陣を伊豆三島の置き軍勢の一部を薩埵峠に布陣させた。その規模は不明だが相当数の兵が着陣していたと思われる。その後も横山城に攻撃を仕掛けられたり、逆に薩埵峠に攻撃を仕掛けたりしたそうで、武田側もそれなりの軍勢を横山城に駐留させていたと思われる。

※この駿河侵攻の武田軍撤退の際に北条軍に落とされたとする説もあるが、もし落とされていた場合江尻城を中心とした江尻領が完全に甲斐本国から孤立してしまう。それを武田軍の駿河再侵攻まで維持していたとは考えにくいので落とされいないのではないか、と私は愚考します。

以後、横山城には城番が置かれ武田氏の城として武田氏滅亡まで使用される

1582年、武田氏の滅亡以後は使用されず廃城となった。

4.現在の状態

対岸から北方面の写真
対岸からの写真

5.アクセス

住所

〒424-0211 静岡県静岡市清水区谷津町2丁目

横山城周辺の城

入口までのルート

国道52号を途中で西に入ったところにあります。

調べてみたところ駐車場はないので民家から離れた広い道路に路駐するなどしなければいけません。

案内板が目印なっています。

城を一望できる場所

ビューポイント
対岸の河川敷に入る道のところに少しスペースがあるのでそこからなら城を一望できます。

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グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」