【流浪の城巡り】難波田城(埼玉県富士見市)~ 武蔵七党村山党の一流難波田氏の居城~ ※2023年1月更新

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こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は埼玉県富士見市の難波田城の紹介をしたいと思います

グルファビの評価

総合評価 
☆☆☆★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆☆☆★★ ☆☆★★★ ☆☆☆☆☆ ☆☆★★★ ☆☆☆☆★ ☆☆★★★

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埼玉県富士見市にある城跡です

敷地中央の難波田城資料館を挟んで東西に細長く、東側が難波田城の姿を復原した「城跡ゾーン」、西側が市内に建てられていた古民家を移築復原した「古民家ゾーン」に分かれています。

城の概要

難波田城は富士見市東部の荒川と新河岸川の間の自然堤防上にあった、武蔵七党村山党の一流難波田氏の居城である。
築城年代は定かではないが南北朝時代に難波田小太郎高範によって築かれたと云われる。

荒川低地の一角に築かれた平城で、規模は5ヘクタール以上と推定されています。難波田城公園は、敷地面積約17000平方メートルの歴史公園で、この貴重な文化遺産を保存し活用することを目的にその一部を整備し、平成12年にオープンしまし

富士見市ホームページより

城の歴史

築城年代は定かではないが南北朝時代に難波田小太郎高範によって築かれたと云われる。

難波田氏は武蔵七党村山党の一流で、この地に累代の居館があったとされる。難波田弾正憲重は扇谷上杉氏に従っていたが、河越夜戦で討死し、難波田氏は没落、その後は上田氏がこの地を治めたという。

北条氏が滅びると廃城になったという

難波田氏と難波田憲重

難波田氏(なんばたし)は、武蔵七党村山党から派生した富士見市南畑の氏族。金子六郎家範の長子高範が難波田小太郎と名乗って始祖となった。

難波田九郎三郎が足利直義に従って高麗彦四郎経澄と羽根倉で戦ったが、敗死した。

難波田弾正憲重は上杉朝定に仕えた。天文6年(1537年)に河越城を奪われた主君・上杉朝定を松山城に迎え後北条氏と戦った。扇谷上杉氏の重臣として家勢の挽回に努め、天文10年(1541年)の北条氏綱の病死を機として河越城攻略に乗り出すが、跡を継いだ北条氏康に阻まれた。その後、山内上杉氏の当主で関東管領・上杉憲政の救援を求めており、同じ頃に村上義清に追われた真田幸隆が憲政を頼った際に居並ぶ諸将の中に「難波田弾正少弼」がいたと記されている(『加沢記』)。また、この時期に憲政の片諱を受けて「正直」から「憲重」に改名したとする説もある。

憲重の工作が奏して、天文14年(1545年)に両上杉氏に古河公方・足利晴氏を加えた連合軍が後北条氏の河越城を包囲するが、天文16年(1546年)の河越城の戦いにおいて古井戸に落ちて死去したと伝えられる。憲重の死とともに扇谷上杉氏は滅亡し、息子3名と甥とされる難波田隼人正も天文6年(1537年)の河越城の戦いで戦死していたため、難波田氏は没落した。憲重死後に婿養子であった太田資正が一時、難波田氏の家督を継いだことがあったが、後に実家の岩付太田氏を継承している。松山城はその後、太田資正と甥の上田朝直(母が憲重の姉妹)の争いの対象となる。その後上田氏や後北条氏の家臣に難波田姓の人物が散見される。江戸時代になり外孫の難波田憲次の子孫は江戸幕府の幕臣として続いた。

なお、北条氏家臣の山中主膳と戦闘中に和歌のやりとりをしたという逸話(松山城風流合戦)がある。

松山城風流合戦

城門から打って出、激しい迎撃戦を展開しながら帰城しようとする難波田憲重と、寄せ手側の山中主膳の間で、次のような和歌問答が交わされたとされる。

山中  あしからじ よかれとてこそ 戦はめ
      なにか難波田(なばた)の 浦崩れ行く

難波田 君おきて あだし心を 我もたば
      末の松山 波もこえなん

難波田は、まだ若い主君朝定への忠誠を和歌にした。実際にこのようなやり取りがされたのかどうかは定かではないが、室町時代の武士の風流を解する心が表れたエピソードと言える。現在、松山城址の搦手門の遺構とされる凝灰岩質の斜面に、このとき難波田の乗馬が駆け上がった蹄の跡と伝えられるくぼみがある

現在の状態

アクセス

住所

〒354-0004 埼玉県富士見市下南畑568−1

入口までのルート

国道254号線から北東に入ると到着します

城の南西に駐車場があります
城の南東にもあります

城を一望できる場所

ビューポイント

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ABOUT ME
yabouroku
グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」