群馬県

【流浪の城巡り】倉賀野城(群馬県高崎市) ~関東三国志の激戦地、倉賀野氏の本拠~ ※2023年6月更新

Pocket

グルファビ

こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は群馬県高崎市の倉賀野城の紹介をしたいと思います

グルファビの評価

総合評価 
☆☆★★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆★★★★ ☆☆★★★ ☆☆☆★ ☆☆☆★★ ☆☆☆★★ ☆☆★★★

グルファビ

群馬県高崎市にある城跡です。

戦国時代に激闘が繰り広げられた城跡ですが現在は静かな住宅地。公園となっています。遺構はほとんどなく、案内版が残るのみです。

城の概要

倉賀野は西上野と北武蔵の境界に位置し、利根川が流れ中山道が通過する交通の要地で、城は烏川左岸の河岸段丘上に立地する。東西800メートル、南北400メートルを城域とする。

倉賀野氏の居城であり、倉賀野氏は鎌倉時代の治承年間に武蔵児玉党の支流である秩父高俊が倉賀野の地に館を構え、倉賀野氏を称した。
南北朝時代に倉賀野光行が館を改修し倉賀野城を築いた。

城の歴史

鎌倉時代に倉賀野氏は鎌倉時代の治承年間に武蔵児玉党の支流である秩父高俊が倉賀野の地に館を構え、倉賀野氏を称した。

南北朝時代に倉賀野光行が館を改修し倉賀野城を築いた。

戦国時代には城主の倉賀野行政が関東管領の上杉憲政に仕えたが、1546年の河越夜戦で戦死した。その後、上杉憲政が長尾景虎(上杉謙信)を頼り越後に落ち延びたため、倉賀野城は倉賀野尚行が城主となり、金井秀景や須賀佐渡、福田加賀守、富田伊勢守、須田大隈守、田沼庄衛門をはじめとする倉賀野十六騎と城を守った

永禄年間に後北条氏が上野を領国化したが、このとき、上杉憲政の旧居城・平井城ではなく、倉賀野城が後北条氏の領国経営の中心になっていたとみられる。
しかし上杉謙信が1560年に越山してくると、倉賀野氏はすぐに箕輪長野氏と上杉に従っており、倉賀野城も上杉方となった(『新編高崎市史』)。

倉賀野城は上杉方の長野氏が拠る箕輪城の支城としての役割を果たしていた。

1561年に甲斐国の武田信玄による西上野侵攻で競られ、金井秀景らが武田氏に与するなど内部分裂もあり、1565年に落城した。倉賀野尚行も上杉謙信を頼って越後に逃れた。

1570年、武田氏に従っていた金井秀景が城主となり、以降は姓を改め倉賀野秀景と名乗った。

1582年、武田氏が滅亡すると、倉賀野秀景は滝川一益に従ったが、本能寺の変の後は北条氏直に仕えた。

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が行われると、秀景は後北条氏武将として小田原城に籠城する。結果、小田原落城と共に倉賀野城も降伏・開城し、その後は廃城となった。

上杉家の忠臣、倉賀野尚行

倉賀野 尚行(くらがの なおゆき)は、戦国時代の武将。山内上杉家(後に長尾上杉氏)の家臣。上野国倉賀野城主。

倉賀野氏は武蔵児玉氏の末裔のうち秩父重綱の婿養子となった者の子孫であるという。

倉賀野為広の子として誕生。上杉憲政に仕え、憲政が没落した後は長尾景虎(上杉謙信)に仕えた。1560年、景虎の関東出兵に従い、1561年には小田原城攻めに参加した。

その後も上杉方として北条氏康、武田信玄の侵攻をよく防いだが、重臣・金井秀景が翻ったことや上野の大将格であった長野業正の病死という悪条件などもあって次第に追いつめられ、1565年6月(1564年6月とも)、信玄の攻撃を受けて倉賀野城は落城し、尚行は越後国の謙信の下へ走った。謙信の6月27日付けの書状の中には「(尚行が)若輩故、油断を以て地利を兇徒に奪はれ候」という落城の要因を綴った一文がみられる(『新編 高崎市史 資料編4』)。

1574年3月、尚行は倉賀野城奪還を目論んで東上野に潜伏し、膳城で謙信の使者である一瀬某と会うなどの工作活動を行っていたが、この企ては成功せず、この後、尚行は越後を本拠とし、名を長左衛門統基と改めて直江兼続に仕えた。直江家断絶後には出羽国庄内藩主・酒井忠勝に仕え、次いで米沢藩の上杉定勝に帰参したという。

上杉家が没落する中、その子孫は山内上杉家が長尾上杉、米沢上杉と変遷していく中でも一貫して仕えた数少ない家臣である。

現在の状態

アクセス

住所

〒370-1201 群馬県高崎市倉賀野町1461−1

入口までのルート

倉賀野駅に南にある住宅街にあります。

地図上のにある倉賀野城に面している道路から入れます。
車なら迷惑にならないように路駐するしかないと思います。

城を一望できる場所

ビューポイント

城に関するおススメ書籍


ABOUT ME
yabouroku
グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」