こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです
今回は宮城県村田町の菅生館の紹介をしたいと思います
グルファビの評価
総合評価 ☆☆★★★ | |||||
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遺構 | ロケーション | 整備 | 歴史的価値 | アクセス | マニア度 |
☆☆☆★★ | ☆☆★★★ | ☆☆★★★ | ☆☆★★★ | ☆☆★★★ | ☆☆☆★★ |
宮城県村田町のはずれの山間にあるお城です
整備されてますが、昔に整備された感じで少し荒れています
城の概要
連郭式の山城で、東西220m、南北210mである。遺構としては、主郭(本丸)、副郭(二の丸)、腰郭、堀切、土塁など、防御のための遺構が残っている。遺物は、在地産の中世陶器の甕の破片や、中国製時磁器の小破片などが出土している。甕の破片は鎌倉時代後期13世紀後半から14世紀前半、中国製時期は16世紀である。館跡の年代は出土した遺物から鎌倉時代後期に築造され、その後戦国時代に再び使用されたものと推定される。
城の歴史
菅生館の城主は、菅生助八郎であったと伝えられている。(『柴田郡菅生村風土記御用書出』安永7年(1778))
菅生氏は下野国守の小山氏下野守高朝の後裔であった。室町時代後期に小山氏が滅亡した後に陸奥に赴き、この地に土着して菅生氏を名乗るようになったものだという。
菅生伯耆は、伊達氏に所属し、相馬氏との戦いで戦死した。
天正18年(1590)、菅生氏は宮崎の合戦で功績を挙げ、菅生の地で100石を拝領したという。
現在の状態
アクセス
住所
〒989-1301 宮城県柴田郡村田町菅生高寺下
入口までのルート
国道から入ると入口の看板があります