【流浪の城巡り】舟岡山城(石川県白山市)と高畠定吉 ~一向一揆と織田家の激戦地・前田利家の城~ ※2023年3月更新

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こんにちは!来訪ありがとうございます!グルファビです

今回は石川県白山市の舟岡山城と高畠定吉の紹介をしたいと思います

グルファビの評価

総合評価 
☆☆☆★★
遺構 ロケーション 整備 歴史的価値 アクセス マニア度
☆☆☆☆★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★ ☆☆★★★ ☆☆★★★ ☆☆☆★★
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石川県白山市にある城跡です。

鶴来地区の市街地の東南域にある舟岡山頂にある山城跡です。手取川に面した標高178.9mの舟岡山に築かれており、現在は遊歩道が設けられています。戦国時代に造築された石垣や櫓跡が残っており当時の雰囲気が感じられます。

城の概要

舟岡山城跡は、鶴来市街地や手取川扇状地を一望できる舟岡山(標高186.2m)の南端部に位置する。また、南方は、谷間集落やかすかに鳥越城跡を望むことが出来る。

城跡の西側には、白山麓へ通じる街道や手取川があり、かつては、交通の要衝であった。

100m西の手取川扇状地の扇頂部の河岸段丘上の台地には、文明12年(1480)まで白山本宮があった古宮遺跡がある。現在も、古宮遺跡の真下には、扇状地を潤す七ヶ用水の隧道が通り、農業にとっては大変重要な場所である。

城跡の名称は現在は「舟岡山城」と呼ばれているが、「白山城」「八幡城」「劔城」と呼ばれていたが、どの名称も城が使われていた時代まで遡るものではなく不確実である。

城跡の残存度は極めて良く、昭和29年に鶴来町指定文化財史跡になり、現在白山市に引き継がれている。交通上の要所にあったため、古い時代から幾度と使用されたと考えられるが、現在は、織豊期に再構築されたと思われる、石塁や土塁が極めて明瞭に残存している。現存している遺構の規模は南北約200m、東西約130m、14,000平方メートルに及ぶ。

城の歴史

最初の築城は不明ですが、越登賀三州志によると、長享年間(1487年~1489年)には一向一揆の将・坪坂平九郎が舟岡山城にいたとある。

その後、加賀・一向一揆が勢力を拡大し、白山の一向一揆を率いた鈴木出羽守が、改修したともされます。一向一揆の若林長門守が守備した模様。

1580年、織田勢の越前加賀一向一揆攻略で佐久間盛政が謀略によって若林父子を殺害して舟岡山城を奪ったとされ、鳥越城とともに落城したという。

織田信長側の支配下後に現在の石垣の城跡が築城されたと考えられる。

その後、丹羽長秀が金沢城に入ると、家臣の早谷五左衛門が舟岡山城に入ったと言われる。
前田利家に加賀が与えられたあとは、1583年から高畠定吉が城主になっている。

舟岡山城は、高畠定吉が没し、城主亡き後使われなくなったと思われ、1615の一国一城令発令時には確実に城として使われなくなったと考えられる。

その後、城跡地は、元禄5年(1692)8月に劔村の人々によって開墾願が提出され畑地となっていった。城跡は、第二次大戦時頃まで、畑地だったが戦後植林され現在の景観に至る。

高畠定吉

高畠 定吉(たかばたけ さだよし、1536年 – 1603年2月13日)は安土桃山時代の武将。高畠吉光の子で、高畠定良の兄。石見守。通称は孫十郎。尾張の出身で、前田利家に仕え戦績を重ねた。利家の妹津世姫(長久院)を夫人に迎えている。

七尾城、加賀劔、越中宮崎城などの守将を務め、利家股肱の臣の一人として北陸攻略、鎮定に寄与した。荒子七人衆、越前府中二十一人衆に名を連ねている。

1583年、前田利家が、金沢へ入城すると舟岡山城主に任命される。
これは1580年3月9日に柴田勝家らの軍勢が加賀に侵入、11月17日、勝家の調略により若林長門や鈴木出羽守ら19名の首を安土へ届けたことにより、加賀の地での本願寺対織田軍と抗争は集結したかのように思われたが、翌年3月に一揆衆が蜂起したため、再び佐久間盛政を鳥越二曲へ向かわせ鎮圧に当たらせたことや、さらに1582年3月に、手取川右岸の吉野組と呼ばれた吉野・佐良・瀬波・市原・木滑・中宮・尾添の七ヶ村の一揆衆が蜂起し、柴田軍勢が鎮圧に向かい300名余りを磔としたことなどから、前田利家は金沢城に入城の際に白山麓地域は非常に不安定であることを認知しており、戦術的にも実績があった高畠定吉を配置することにより、金沢の南部の防衛を強化するのが目的であったと思われる。

高畠定吉は、その後、上杉との攻防後、越中・越後の国境にある宮崎城なども任される。1592年には禄1万7千石まで授かる重臣となり金沢城の留守を任せられたりもしたが、1599年3月3日、利家の死後、利長や利家の側室芳春院と豊臣方に付くことで対立、1600年の関ヶ原の合戦では、金沢城の留守役を勤め、翌年には劔(当時)へ帰った後、剃髪し隠居、京都へ向かい(同じ立場にある利政のところと推測されている)、1602年1月3日に死去している。

現在の状態

舟岡山城の入り口
南側の登城口となる
登城口
道はあります
微妙に城の雰囲気が出てくる
登っていくと石垣が
説明版もある
曲輪跡
虎口
本丸
本丸には石碑があります

アクセス

住所

〒920-2113 石川県白山市八幡町156

入口までのルート

城にはいくつか登城口があり、私は南側の登城口から登りました。
西にある古宮公園に車を停め、東に道なりに進むと登城口があります

北側の青少年の家から登ることもできるようです

城を一望できる場所

ビューポイント
やや遠目ではありますが城の形がわかります

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グルファビです!20代。東北出身在住。旅、グルメ、城、歴史、ゲームが好きな気楽で流浪な男が自由を求めてゆる~くFIREを目指しつつ皆さんの参考、役に立つ情報を上げていく野望録です。 「二兎も三兎も追ってみる」